こちらに載せるのが遅れましたが、立雲寺だよりvol.11を発行しました。
お墓の在り方が変わってきている今、お寺が供養について思うことを書いた1ページ目の記事を掲載します。
九月十三日、新たに建立した永代供養墓「安穏」とペット供養墓の開眼法要を、馬頭観世音菩薩の大祭と共に行いました。ご参列くださった方々ありがとうございました。
永代供養墓「安穏」は、この先お墓や納骨堂を見ていく方がいない単身者の方やご夫婦、その他様々な事情がある方が、亡くなった後もお寺が永代にわたって供養していくものです。公営の合同墓と違いお寺が管理するので、日々のお経があがり、命日や回忌には個別に供養を届けることができます。
ペット供養墓も、家族の一員であったペットに対して供養を捧げ、飼い主が亡き後も取り残されることなくお寺が供養を続けていきます。
どちらも年に一回、故人やペットを偲び感謝を伝える合同供養祭を行います。
一つ忘れてはいけないのは、お寺はただ単に「墓地の管理者」や「供養の代行者」ではないということです。
大切なことは、自分自身がお参りを通して故人や先祖に感謝を伝え、自分の心を見つめ直す時間を作ること。仏教ではそれを「修行」と呼びます。
自己の至らないところを「修(なお)し、行(すす)む」ことです。供養するということは亡き人の為であり、自分自身の為でもあるということです。
最近よく「子供に負担をかけたくない…」という理由で、お葬式を簡単に済ませる方や墓じまいをする方がいらっしゃいます。実際にそのように考えている方は少なくないと思います。
おそらくお葬式のことや今後先祖を供養をしていく費用や時間、そして気持ちの面での「負担」を子供に背負わせるのはかわいそう…という、親が子供を思う気持ちからなのでしょう。
果たしてそれは本当に子供の為なのでしょうか。
親が亡くなり、遺言通り簡単なお葬式。お葬式は、故人の為であると同時に、遺族や知人が故人の死に向き合う大切な時間です。
実際に立雲寺でも、遺言通り簡単なお葬式をした方が「しっかりと送り出せた気がしない」と改めてお葬式をし直したことがあります。
そしてお墓や納骨堂を閉じることは、子供が親や先祖に手を合わせる場所や機会を無くしてしまいます。子供が親になり、次の世代、また次の世代…は親や先祖に手を合わせることができるでしょうか。
「しっかりと送り出すことができた」という気持ちや「お墓参りで亡き親や祖父母、先祖に会いにいく」という時間が、心の支えになることがあります。
大切なのは、親も子供も後悔しないようしっかりと話すことであると思います。
お寺としては、先祖が繋いできたバトンを次の世代に渡すこと、そしてそれを感じられる場所や時間を残してあげることは、家族の形が変わってきた今でも我々がやるべき大切な営みであると考えております。
とはいえ現実に、費用の問題や身体的・物理的にもなかなか供養していくのが難しい方もいらっしゃいます。そんな時はお寺に遠慮なくご相談ください。自分や家族の形に合った供養を一緒に考えましょう。
立雲寺だよりvol.11は下記より読むことができます。
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